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2015/12/18
09:48:20
算命学には相生・比和・相剋という関係がある。

言葉のイメージどおり、相生は相手を助ける・相手に助けられるという関係にあり、比和は同等なモノ(実際は若干違うけれども)、相剋は相手を攻撃する・相手から攻撃されるという関係である。

文字面をみると、相生という関係は有り難いモノに見え、相剋という関係は有り難くない、遠慮したい関係に思われる。

たしかにこの解釈は間違えていないし、それは一般的な解釈である。

けれども本当にそれだけだろうか。

「助ける」というのは、度が過ぎれば本来その人がやるべき領分を取り上げてしまうコトであって、その人の成長を阻害する行為にもなり得る。

逆に「攻撃」というのは言葉を換えると「鍛える」という意味になる。

人から攻撃をされるのは好ましくないけれども、自分が成長するにあたり自分の不甲斐ない部分を鍛えてくれるというのはとても有り難い存在になる。

特に大人になってからそういう存在があるというのはとても有り難い。

例として分かりやすいのは甲木と庚金の相剋関係。

甲木は樹木である。

何年にも渡ってまっすぐに伸びるところから、自分を曲げない・曲げるコトが出来ない性情がある。

そしてどこまでも伸びて行くので、枝葉が伸び、本体である幹の部分に栄養が行かなくなり樹木本来の精気がなくなってしまう。

庚金は甲木に対して斧の役目をする。

樹木はすくすくと育っているときに斧で「伐採」をされるコトを嫌う。

けれどもこの伐採がなければ、上記のように樹木はどこまでも成長して最終的には本体である幹を駄目にしてしまう。

そのときに斧が不必要な枝葉を「剪定」してくれたら。

本来枝葉に行ってしまう栄養を幹に残して、本体の樹木の生命を長らえさせるコトができる。

また樹木の周りにある草木や周りの樹木に太陽の光を分け与えるコトができる。

甲木にとって庚金というのは相剋という関係にあっても、有り難い存在になり得る。

もちろん必要以上に樹木の枝葉、幹を伐採するような庚金であれば、それは単純に攻撃をしているだけなので有り難い存在でもなんでもなく、寧ろ有り難くない存在となる。

そういう意味で甲木の人は良い庚金の人と出会えるコトで人生が変わってくる。

実は、これは自分と師匠との関係。

細かく話せば生まれ月によって同じ甲木・庚金など干の意味が変わってくるので少し話は違ってくる。

それでも相生だから良い、相剋だから悪い,というコトにはならない。

どう自分がそれと接するかによって良いも悪いも変わってくる。

それを見れる目を養っていけたら、人生モノの見方が面白くなるんだろうな。




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